横浜 港仏蘭西料理 むなかた [横浜・フランス料理・フレンチ・レストラン]  
横浜港 仏蘭西料理 むなかた [横浜・フランス料理・フレンチ・レストラン]
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麦田の歴史
麦田の歴史 山手外人墓地からみなとみらい地区を望む
横浜の繁華街関内・中華街・元町を抜け、本牧方面に向かう入り口に『麦田町』があります。
1859年6月の海港当時の本牧・根岸方面の海岸線は完全な漁村で、麦田町は一面の水田や畑地。『麦の田に因む』という地形から、『麦田町』の名が付きました。伊勢佐木町・関内・本牧・間門方面へ行く街道として、荷車や馬車の通行が多く、人々や物売りの往来で賑やかな通りでした。又、麦田町の隣の現北方(現在、千代崎町)はビール醸造業発祥の地。ビール工場からの製品も、この街道を通り関内方面に運ばれていました。
明治44年には、横浜電気鉄道開通。麦田町には、桜道トンネルがあることにより、更に交通の要になりました。
昭和3年、電車の車庫が新設、修理工場なども併設され、車庫へ出入りする電車の乗り換え停留所として発展します。
昭和20年、横浜大空襲により、被災し全焼しましたが、終戦後は人々の力で復興。当店『むなかた』の目の前には、当時「麦座」という映画館があり、娯楽の場として賑わいを見せていました。
昭和30年代の麦田町は、本牧にあった米軍居住地のアメリカ人が通う、洒落たクラブやバー、ダンスホールが軒を連ね、独特な存在感を放ち、全国的に有名なエリアとなりました。
昭和39年5月に、根岸線が開通し、昭和45年には市電が廃止。トンネルは車道と歩道用へと移り変わり、今も麦田の人々の大事な通路として利用されています。
麦田、妙香寺は、「君が代発祥の地」。フランス山は、「クリーニング発祥の地」。
独特な存在感を放つ麦田町に末永く溶け込む、美しい佇まいの店であり続けたいと願っています。
これが、『むなかた』のある麦田町です。
麦田の歴史写真
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